史跡めぐりは良い運動にもなる。
夕方、モール505付近を歩いてみた。
ここに何の跡があるのかと言うと、
ここには戦前あたりまで川が流れていた。
それは最近整備された歩道のデザインにも反映されている。
四角いブロックの上をクネクネ流れる青が、川口川なのだ。
橋の跡は交差点を挟んで向こう側にある老舗の天ぷら屋「保立食堂」脇にもある。
写真奥へ続く道路は、「まちかど蔵大徳」などが並ぶ「中城通り」。
確かに写真中央を川が流れている。
川の真ん中あたりには舟が接岸していて、
複数人が荷物と一緒に乗れそうだが、それでも川幅の半分もいかない。
今の時代からは想像もつかないかも知れないが、
水運が交易の要だったのは、ほんの100年ほど前。つい最近のことだ。
板に書いてある「亀城通り」は、ここから土浦駅前までまっすぐ続くメインの道路(👇写真右側の道路)だが、
古くは左側のを行く狭い道路(本町通り)メイン通りだった。
本町通りは駅前に対して左側に逸れていき、
モール505(川口ショッピングモール)に続いていく。
入口にある壁画には大正10年ごろの様子が描かれていて、
その裏側には
これが書かれたのは昭和60年。
つくば科学万博開催の年(1985年)だ。
これをざっと読んでみると、
この土浦という街は、江戸時代に利根川と霞ヶ浦の水運で江戸と交易があったことによって栄え、
以後は賑わいを取り戻せていない、ということになる。
自分たちの住む街の歴史を知ること、文化財を大事にすることは良いことだ。間違いない。
しかし、
「昔は良かった」的な後ろ向きな考えになって未来に目が行かなくなってしまうのは、
どこか違う気がする。
「歴史の街」を掲げて活性化するなら、
どこの地方都市もとっくにそうなっているはずだ。
移動、物流、そして通信の手段が変化すれば、時代は変わる。
その点、ここ近年の土浦が「自転車の街」として方向性を打ち出したのは、良いことだと思う。
まずは現代のこの街を楽しんで好きにならないことには、何も始まらないのだから。
今日はここまで書いて疲れたので、この辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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